国指定史跡ガイド 「松ヶ岡開墾場」の解説
まつがおかかいこんじょう【松ヶ岡開墾場】
山形県鶴岡市羽黒町にある明治時代の開拓遺跡。廃藩置県によって酒田県(1876年、山形県に編入)となった元・庄内藩の中老だった酒田県権大参事・菅(すげ)実秀が開いた農場の跡。菅は、旧藩士の救済・殖産のために大規模な開墾事業を鶴岡の東郊外で開始し、その集会・事務のための本部として開墾地内の経塚北麓に藤島村(現鶴岡市)の旧本陣の建物を移築、旧藩士3000人を駆使して、広大な原野を短期間に開墾した。旧藩主の酒井忠発(ただあき)が開墾地を訪れ、経塚に登って「松ヶ岡」と書いた立て札を立てたことで、それが開墾地の名称となった。その後、養蚕・製糸事業にも手を伸ばした。他の同様の事業の多くが失敗する中で、松ヶ岡開墾場は長く継続し、衰退したものの今日でもなお225ヘクタールの開墾地を伝え、水田・畑の経営が続いている。土地は開墾士の子孫64戸の共有とするなど開墾当初の土地所有・利用形態の遺制も残されている稀有な例である。とくに中心部の経塚周辺には本部や養蚕室などが明治初年の面影のまま現存している。1989年(平成1)、経塚・本陣・蚕室などの開墾場中心部が国の史跡として指定された。JR羽越本線鶴岡駅から車で約20分。