松丸殿(読み)まつのまるどの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松丸殿」の意味・わかりやすい解説

松丸殿
まつのまるどの
?―1634

豊臣秀吉側室京極殿(きょうごくどの)。豊臣大名京極高次(たかつぐ)の妹で名は龍子(たつこ)。武田元明(たけだもとあき)室であったが、夫は山崎の戦後、秀吉に殺された。秀吉の側室としては1590年(天正18)小田原攻めのとき「佐々木京極様」として初出する。1594年(文禄3)大坂城西丸(にしのまる)に住み、西丸殿、伏見城に移ってからは松丸殿と呼ばれた。秀吉の寵愛を受け淀殿(よどどの)に次ぐ権勢を誇った。秀吉死後は兄高次のもとで生活し、関ヶ原の戦以後は京に住んだ。1597年(慶長2)山城の誓願寺(せいがんじ)(京都市中京区)を再興

[内田九州男]

『斯道文庫編『重要文化財大かうさまくんきのうち』(1975・汲古書院)』『『桑田忠親著作集7 戦国の女性』(1979・秋田書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「松丸殿」の解説

松丸殿

没年:寛永11(1634)
生年:生年不詳
豊臣秀吉の側室。名は竜子。近江国(滋賀県)の守護代京極高吉の娘。母は小谷城主浅井久政の娘との説がある。京極高次の妹。若狭(福井県)守護武田元明の妻となったが,天正10(1582)年の山崎の合戦のあと,夫元明が誅され,秀吉の側室となった。秀吉の小田原遠征時には小田原まで,文禄の役のときには名護屋の陣所まで,淀殿と共に出向いている。松丸殿の称は,伏見城松丸にいたことによる。秀吉死後は,兄高次の近江大津城で暮らし,その後京都誓願寺に隠棲。側室時代は美貌できこえ,醍醐寺の花見では淀殿と杯の順番を争うなど権勢を誇った。

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松丸殿」の解説

松丸殿 まつのまるどの

?-1634 織豊時代,豊臣秀吉の側室。
京極高吉(たかよし)の3女。若狭(わかさ)神宮寺の武田元明に嫁したが,天正(てんしょう)10年元明が秀吉にほろぼされ,まもなくその側室となる。大坂城西丸にはいって西丸殿,伏見城松丸にうつって松丸殿とよばれ,淀殿につぐ勢力があった。秀吉の死後,兄京極高次の近江(おうみ)大津城,京都誓願寺にうつりすんだ。寛永11年9月1日死去。名は竜子。

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世界大百科事典(旧版)内の松丸殿の言及

【京極高次】より

…本能寺の変のあと明智光秀に従い長浜城を攻めたため羽柴秀吉に追われる。しかし,妹が秀吉の侍妾(松丸殿)となったことで,近江高島郡で2500石を得,その後たびたび加増され,関ヶ原の合戦時には,近江大津城主として6万石を領した。関ヶ原の戦に際しては,東軍に属し,大津城にこもったが,東軍の関ヶ原での大勝の前日開城し,高野山へ入った。…

※「松丸殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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