大津城(読み)おおつじょう

日本の城がわかる事典 「大津城」の解説

おおつじょう【大津城】

滋賀県大津市にあった平城(ひらじろ)(水城)。羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が1586年(天正14)、明智光秀居城としていた坂本城(大津市)を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築かせた城である。長政、増田長盛、新庄直頼と城主が代わった後の1595年(文禄4)、八幡山城(近江八幡市)を居城としていた京極高次が6万石の領主として入城した。高次は1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの際、東軍に与して大津城に籠城し、毛利元康・立花宗茂ら西軍(豊臣方)1万5000の包囲攻撃を受けた。大津城は、琵琶湖の舟運を利用して美濃や越前から集まる物資を集積する城としてつくられたために防御に不向きだったが、京極勢3000は7日間にわたって西軍の攻勢を持ちこたえた。しかし、立花勢に二の丸まで占領されて降伏、開城。高次は園城寺を経て剃髪して高野山に入った。戦後、高次は徳川家康から西軍の大軍を7日間にわたって釘付けにした功績が認められ、若狭国の小浜城(福井県小浜市)8万2000石に加増転封となった。高次が小浜城に移って間もなく、大津城は家康により廃城となり、新たに膳所(ぜぜ)城が築かれた。これは同城が近隣の長等山からの砲撃の射程圏内にあったことが問題にされたといわれている。廃城に伴い、城の攻防戦禍を免れた建造物の一部は、彦根城膳所城に転用・移築されたといわれている。これは1957年(昭和32)に行われた彦根城天守の解体修理の際に明らかになり、このとき、大津城は4重5階の天守を持っていたのではないかと考えられるようになった。なお、家康は関ヶ原の戦いに勝利した後、大津城に入城、勅使に拝謁している。また、敗戦後、戦場を逃れた石田三成は田中吉政によって捕縛され、大津城の家康のもとに連行され、京都三条河原で斬首された。大津城は、現在の京阪電鉄浜大津駅周辺一帯を城域とし、琵琶湖大津港桟橋付近に本丸があったが、残念ながら、城跡は失われてしまっている。浜大津駅前に「大津城跡」の石碑があるだけである。京阪電気鉄道京津線浜大津駅から徒歩。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

事典・日本の観光資源 「大津城」の解説

大津城

(滋賀県大津市)
湖国百選 城編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大津城の言及

【彦根城】より

…石垣に用いた石は,佐和山,安土,長浜,大津など周辺の古城から運ばれたと伝える。現存する天守(国宝)は京極高次の大津城五重天守を移し,三重に改めたもの。本丸太鼓櫓門,天秤櫓門(ともに重要文化財)も長浜城から移築したと伝える。…

※「大津城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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