朝日日本歴史人物事典 「松前邦広」の解説
松前邦広
生年:宝永2(1705)
松前藩6代藩主。江戸の同族旗本松前本広(松前慶広の次男忠広の孫)の3男。母は幕臣杉原正長の娘。幼名を伝吉,初諱を広国と称す。5代藩主矩広の子が相次いで早世したため,享保1(1716)年矩広の養嗣子となり,5年矩広の死により翌年襲封し6代藩主となった。矩広治世の前半は,藩主一門の権力争い,シャクシャインの蜂起,藩財政の窮乏など藩制の全般的危機に遭遇したが,邦広は税制改革を主軸とした藩政改革に積極的に取り組み,藩制(政)のたてなおしに尽力。7代藩主資広と共に藩政中興の主と称されている。<参考文献>松前広長編『福山秘府』(『新撰北海道史』5巻),『松前町史』通説編1巻上,史料編1巻
(榎森進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報