20世紀日本人名事典 「松原与三松」の解説
松原 与三松
マツバラ ヨソマツ
- 生年
- 明治28(1895)年12月15日
- 没年
- 昭和50(1975)年4月29日
- 出生地
- 福井県坂井郡東十郷村
- 学歴〔年〕
- 長崎高商〔大正6年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大阪文化賞〔昭和42年〕
- 経歴
- 学校を出てすぐ久原鉱業に入り、日立製作所を経て、昭和16年日立造船に転じたあと経理部長、総務部長、常務などを務め、25年社長に就任、37年会長、46年相談役に退く。その間、29年の造船疑獄では山下汽船へのリベートの疑いで逮捕されたが、不起訴に。日立造船の経営者としては対ソ・対中国など共産圏貿易にも力を入れ、これが同社急成長の一因となった。また多年にわたって関西経営者協会長を務め、太田垣士郎関西経営連合会長とのコンビで関西財界のため活躍。また43年には国際貿易促進協会関西本部会長に就任、日中貿易の促進などにも努めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報