松室致(読み)マツムロ イタス

20世紀日本人名事典 「松室致」の解説

松室 致
マツムロ イタス

明治〜昭和期の司法官,政治家法相;検事総長;貴院議員(勅選)。



生年
嘉永5年1月2日(1852年)

没年
昭和6(1931)年2月16日

出生地
豊前国小倉(福岡県北九州市)

学歴〔年〕
司法省法学校正則科(のち東京大学)〔明治17年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔大正7年〕

主な受賞名〔年〕
勲一等

経歴
明治17年判事補、18年判事となり、以後浦和始審裁判所判事、東京地裁部長、東京控訴院判事を経て、31年長崎控訴院検事長、34年同院長、39年検事総長、行政裁判所長官などを歴任。大正元年桂内閣の司法相、3年帝室会計審査局長官、5年寺内内閣司法相。7〜13年勅選貴院議員、13年枢密顧問官。昭和3年会計検査官、懲戒裁判所長官などを務めた。大正2年より法政大学学長。著書に「改正刑事訴訟法論」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松室致」の解説

松室 致
マツムロ イタス


肩書
枢密顧問官,貴院議員(勅選),司法相,行政裁判所長官

生年月日
嘉永5年1月2日(1852年)

出生地
筑前国小倉(福岡県)

学歴
東京帝国大学〔明治17年〕卒

学位
法学博士〔大正7年〕

経歴
明治17年判事補、18年判事となり、以後浦和始審裁判所判事、東京地裁所部長、東京控訴判事を経て、31年長崎控訴院検事長、34年同院長、39年検事総長、行政裁判所長官などを歴任。大正元年桂太郎内閣の司法相、3年帝室会計審査局長官、5年寺内正毅内閣司法相。次いで勅選貴院議員、13年枢密顧問官。昭和3年会計検査官、懲戒裁判所長官などを務めた。著書に「改正刑事訴訟法論」。

受賞
勲一等

没年月日
昭和6年2月16日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松室致」の解説

松室致

没年:昭和6.2.16(1931)
生年:嘉永5.1.2(1852.1.22)
明治から昭和期の司法官,政治家。小倉藩(北九州市)藩士松室晨吾の長男。明治17(1884)年7月司法省法学校正則科(第2期生)を卒業後ただちに判事補,翌年判事に任ぜられ,浦和始審裁判所判事,東京地裁部長,東京控訴院判事などを歴任。31年6月司法部刷新にともなう大人事異動では,学歴のない特進組に代わって東京控訴院部長から5段飛びの長崎控訴院検事長に抜擢された。その後39年7月検事総長となり,大正1(1912)年12月と5年10月には2度司法大臣に就任するなど,司法界では組織的法学教育を受けた第一世代として累進した。また,貴族院議員,枢密顧問官,法政大学長なども歴任した。

(楠精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松室致」の解説

松室致 まつむろ-いたす

1852-1931 明治-昭和時代前期の司法官,政治家。
嘉永(かえい)5年1月2日生まれ。明治18年判事になり,39年検事総長。大正元年第3次桂(かつら)内閣,5年寺内内閣の法相をつとめる。大正2年より法大学長。のち貴族院議員,枢密顧問官。昭和6年2月16日死去。80歳。豊前(ぶぜん)小倉(福岡県)出身。東京大学卒。著作に「改正刑事訴訟法論」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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