松岡磐吉(読み)まつおか・ばんきち

朝日日本歴史人物事典 「松岡磐吉」の解説

松岡磐吉

没年:明治4(1871)
生年:生年不詳
幕末幕臣。「いわきち」とも。伊豆韮山代官江川太郎左衛門の家士であったが,長崎海軍伝習所で航海術を学び,卒業後幕臣となる。万延1(1860)年,咸臨丸渡米の際には測量方を務めた。明治1(1868)年1月軍艦頭並になり,同年8月榎本武揚が幕府艦隊を率いて蝦夷地に赴く際,軍艦「蟠竜」の艦長として従い,松前城攻撃に戦功を上げた。翌2年5月11日政府軍の箱館攻撃に際しては,政府軍艦朝陽の弾薬庫砲弾を命中させてこれを撃沈。一方,蟠竜も多数の砲弾を受けたので,故意に座礁させて上陸,弁天砲台に逃げ込んだ。降伏後,榎本らと東京に護送され,同4年牢中で病死した。<参考文献>丸毛樵村「松岡磐吉君小伝」(『旧幕府』2巻7号)

(長谷川伸三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松岡磐吉」の解説

松岡磐吉 まつおか-ばんきち

?-1871 幕末の武士
伊豆(いず)韮山(にらやま)(静岡県)の代官江川太郎左衛門の手代松岡正平の次男。長崎の海軍伝習所でまなぶ。咸臨丸(かんりんまる)の渡米の際は測量方,のち軍艦頭並にすすむ。慶応4年旧幕府艦隊の蟠竜(ばんりゅう)艦長として箱館(はこだて)湾などでたたかう。五稜郭(ごりょうかく)落城で降伏し,東京に護送されて明治4年獄死。

松岡磐吉 まつおか-いわきち

まつおか-ばんきち

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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