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松平康任

美術人名辞典の解説

松平康任

石見浜田藩主。通称岩吉郎・軍次郎・下野守等。康定の養子。江戸生。周防守・寺社奉行大坂城代老中等を務める。著書に『木綿牒』『万葉六帖』等がある。天保12年(1841)歿、62才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平康任 まつだいら-やすとう

1780-1841 江戸時代後期の大名。
安永9年5月18日生まれ。分家松平康道の長男。松平康定(やすさだ)の婿養子となり,文化4年石見(いわみ)(島根県)浜田藩主松平(松井)家7代。奏者番,寺社奉行,大坂城代,京都所司代をつとめ,文政9年老中にすすむ。隠居後,密貿易(竹島事件)が発覚し,天保(てんぽう)7年永蟄居(えいちっきょ)となった。天保12年7月22日死去。62歳。通称は岩吉郎,軍次郎。周防守(すおうのかみ)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松平康任

没年:天保12.7.22(1841.9.7)
生年:安永9(1780)
江戸後期の老中。文化4(1807)年5月,石見国浜田藩(島根県浜田市)藩主就任。文政5(1822)年7月大坂城代,同8年5月京都所司代,翌9年11月老中。天保5年(1834)2月,勝手掛老中水野忠成 の病死により勝手掛になる。しかし,翌6年10月,但馬国出石藩(兵庫県出石町)仙石家の御家騒動(仙石騒動)の関係者として責任を問われ,老中辞任。同12月隠居。7年3月には浜田藩時代の密貿易(竹島事件)が発覚し,陸奥国棚倉(福島県棚倉市)へ転封。同年12月永蟄居。順調に老中にまで昇り詰めたが,御家騒動に巻き込まれ,その手腕を発揮することなく失脚した人物。<参考文献>北島正元『水野忠邦』

(安藤優一郎)

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367日誕生日大事典の解説

松平康任 (まつだいらやすとう)

生年月日:1780年5月18日
江戸時代後期の大名
1841年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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