松平忠冬(読み)まつだいら・ただふゆ

朝日日本歴史人物事典 「松平忠冬」の解説

松平忠冬

没年元禄15.5.1(1702.5.27)
生年寛永1(1624)
江戸前期の幕臣書院番士,同組頭,新番組,町奉行,勘定奉行,側衆などを歴任し,元禄10(1697)年勤めを辞す。この間,一方で徳川氏創業以来の歴史の考究にも努め,寛文5(1665)年には,祖父家忠の日記に基づき,松平清康から徳川家康までの徳川氏創業記としての『家忠日記増補追加』を編纂した。さらに,天和3(1683)年末に5代将軍徳川綱吉から,2代将軍秀忠の事跡録の編纂を命ぜられ,翌貞享1(1684)年末には『東武実録』40巻を完成させ献上している。蔵書家として有名な肥前国島原藩主松平忠総の従兄弟にあたる。

(小宮木代良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平忠冬」の解説

松平忠冬 まつだいら-ただふゆ

1624-1702 江戸時代前期の武士
寛永元年生まれ。松平家忠の孫。松平忠隆(ただたか)の次男深溝(ふこうず)松平氏。幕臣。書院番,町奉行,勘定奉行をへて,側衆となる。「家忠日記増補追加」および徳川秀忠の事績録「東武実録」を編修した。元禄(げんろく)15年5月1日死去。79歳。通称は隼人正。

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世界大百科事典(旧版)内の松平忠冬の言及

【東武実録】より

…40巻。幕臣の松平忠冬が1683年(天和3)幕府の命を受け,翌84年(貞享1)に完成した。同じ時期に成立した徳川家康の事跡録《武徳大成記》の後を受け,家康没年の1616年(元和2)正月から秀忠没年の32年(寛永9)12月までを編年体で記す。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」