コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

松平直政 まつだいら

美術人名辞典の解説

松平直政

江戸前期の大名。出雲松江藩松平家初代当主。結城(松平)秀康の三男、徳川家康の孫。幼名は河内丸、のち国丸。大坂冬の陣に加わり、夏の陣にも武功をあげ出羽守となる。信濃国松本城を経て出雲国松江城に移る。藩祖として六ヵ条の方針をたて、藩政の基礎を築いた。寛文6年(1666)歿、66才。

出典|(株)思文閣美術人名辞典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平直政 まつだいら-なおまさ

1601-1666 江戸時代前期の大名。
慶長6年8月5日生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)の3男。徳川家康の孫。大坂冬の陣に14歳で初陣元和(げんな)2年兄松平忠直(ただなお)から越前(えちぜん)木本(このもと)に1万石をあたえられる。上総(かずさ)姉崎(あねがさき),越前大野,信濃(しなの)松本をへて,寛永15年出雲(いずも)松江藩主松平(越前)家初代となる。18万6000石。国務の要領6ヵ条で藩政の基本をしめした。寛文6年2月3日死去。66歳。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

松平直政

没年:寛文6.2.3(1666.3.8)
生年:慶長6.8.5(1601.9.1)
江戸前期の越前大野,信濃松本,出雲松江藩主。出羽守。徳川家康の2男結城秀康の3男として,近江伊香郡中河内(滋賀県余呉町)の宿で生まれる。慶長19(1614)年大坂冬の陣に,兄の忠直の制止を振り切って出陣,真田幸村の籠もる出城の攻撃に参加。翌年の夏の陣にも活躍。寛永1(1624)年大野5万石。10年松本7万石,15年松江18万6000石と転封,隠岐を預けられる。藩政の確立に尽力する一方,隠岐の後鳥羽上皇の山陵を修復,出雲大社を造営するなどした。<参考文献>斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一校訂『徳川諸家系譜』4,新井白石『藩翰譜』,『島根県史』

(根岸茂夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

367日誕生日大事典の解説

松平直政 (まつだいらなおまさ)

生年月日:1601年8月5日
江戸時代前期の大名
1666年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内の松平直政の言及

【出雲国】より

…吉晴は松江に築城して,中世以来の広瀬富田城より移り,松江に城下町をつくった。33年(寛永10)3代33年つづいた堀尾家は,嗣子がなく御家断絶となり,代わって京極忠高が若狭国小浜から転封してきたが断絶し,38年信濃国松本から松平直政を迎える。直政は出雲国で18万6000石のほかに隠岐国1万8000石も預けられた。…

【大野[市]】より

…【松原 信之】 近世には城下町であり,福井から郡上(ぐじよう)に至る美濃街道の要地であった。1600年(慶長5)入封した結城秀康が支城とし,重臣土屋昌春を3万8000石で配置,24年(寛永1)秀康の三男松平直政が5万石を賜って大野藩が成立,82年土井利房が4万石で入国して定着した。正保郷帳では五つの枝郷ともで5087石余。…

【松江藩】より

…34年(寛永11)断絶した堀尾氏に代わって京極忠高が入封,出雲・隠岐両国に加えて石見銀山の大森代官所支配地5万石も支配する。次いで京極氏が断絶して,38年結城秀康の三男松平直政が藩主となった。出雲国18万6000石で,隠岐国1万8000石は幕府の預地である。…

※「松平直政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

松平直政の関連キーワード松江藩主松平家墓所乙部九郎兵衛寺田平左衛門松江(市)島根(県)松本一指松平近栄黒沢石斎寺田正重神谷兵庫長沼宗敬松平直丘松平隆政松平綱隆生年月日久城春台隠岐国大野城広瀬藩大野藩

今日のキーワード

処暑

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の7月中 (7月後半) のことで,太陽の黄経が 150°に達した日 (太陽暦の8月 23日か 24日) に始り,白露 (9月8日か9日) の前日までの約 15日間であ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

松平直政の関連情報