日本歴史地名大系 「松永保・松永庄」の解説
松永保・松永庄
まつながほ・まつながのしよう
松永保は平安―南北朝期の国衙領。散在性が強いので保域は定めがたいが、およそ現小浜市の中央東部、
松永保は大治元年(一一二六)三月日付若狭国恒枝名田坪付帳案(東寺百合文書)に「松永保内恒枝名田」とみえる。この
文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写は応輸田として「松永保四十七町七反七十歩 東郷四十二町廿歩川三丁五反百廿歩、不六丁二百六十歩 西郷五丁六反五十歩川二反百廿歩、不二反二百歩 三方郷壱反」をあげ、「除廿三町一反五十歩」の内訳として川成三町七反余・不作六町三反余・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報