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松浦詮 まつら あきら

美術人名辞典の解説

松浦詮

江戸後期の平戸藩主・茶人。石州流家元。字は景武・義卿、通称は朝五郎・源三郎別号に乾字・稽詢斎。維新後宮内省御用掛を経て貴族院議員となる。のち伯爵正二位勲二等に叙される。和歌をよくした。明治41年(1908)歿、69才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松浦詮 まつら-あきら

1840-1908 幕末-明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)11年10月18日生まれ。松浦秋の長男。伯父曜(てらす)の養子となり,安政5年肥前平戸藩(長崎県)藩主松浦家12代。海防を整備し,倹約殖産興業を推進した。伯爵,貴族院議員。茶道石州流鎮信派家元。歌会始奉行もつとめた。明治41年4月11日死去。69歳。字(あざな)は景武。通称は源三郎。号は心月

松浦詮 まつうら-あきら

まつら-あきら

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朝日日本歴史人物事典の解説

松浦詮

没年:明治41.4.13(1908)
生年:天保11.10.18(1840.11.13)
幕末の平戸藩(長崎県)藩主。号は心月など。父は同藩主松浦煕 の次子秋。嘉永2(1849)年伯父の藩主松浦曜 の養嗣子となり安政5(1858)年襲封した。節倹殖産に努め藩財政の立て直しに努める一方,蘭学を奨励し,海防強化のため異国船警固規則の発令や台場築造,洋式操砲習得を目的とする藩士の長崎への派遣,大村藩との同盟締結(1862)などの諸施策を行った。幕末の政局では,祖父煕の妹節子が公卿姉小路公知の祖母に当たり尊王攘夷論を奉じたが,公武合体にも意を用いた。戊辰戦争には討幕勢力に加わった。明治17(1884)年伯爵,のち貴族院議員を務める。和歌・茶道の名家としても著名であった。<参考文献>松浦伯爵家編修所編『松浦詮伯伝』

(長井純市)

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世界大百科事典内の松浦詮の言及

【平戸藩】より

…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。松浦党に系譜をひく平戸松浦氏は,党の単位細胞である平戸党の結束を通じて在地領主として発展し,隆信(道可)の時代には,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は6万3200石であったが,1664年(寛文4)4代藩主鎮信(しげのぶ)(天祥)のとき,従弟信貞に今福1500石を分知した。…

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