松田芳子(読み)マツダ ヨシコ

20世紀日本人名事典 「松田芳子」の解説

松田 芳子
マツダ ヨシコ

昭和期の女性 元・松田組親分。



生年
大正6(1917)年

没年
昭和31(1956)年

出生地
富山県

経歴
敗戦直後、東京・新橋のヤミ市を統率し、戦争によって混乱に陥ったテキ屋世界にズブの素人ながら度胸機転で組を組織した“河童の松”こと松田義一は、関東松坂屋5代目・松田組親分にのしあがった。露天商のマーケット化を計画中の21年夏、松田組と朝鮮人との紛争激化、松田は出入りで殺された。29歳の妻芳子が跡目を継いだが、新生マーケットが火事で焼失するなどがあって、22年7月16日、子分40人と堅気に返る宣誓式を行い、松田組は解散した。芳子は有閑マダムの「グループ憩」会長などした後、東京で飲食店経営。さらに大阪などで流浪、31年麻薬中毒のため死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田芳子」の解説

松田芳子 まつだ-よしこ

1917-1956 昭和時代の女性。
大正6年生まれ。東京新橋の青空市場,闇市をとりしきった松田組の親分松田義一の妻。中国系の一団との抗争がつづくなか,昭和21年6月義一が殺され,跡目をついだ。翌年松田組を解散。のち各地をわたりあるいた。昭和31年死去。39歳。富山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例