日本歴史地名大系 「松陰新田村」の解説 松陰新田村まつかげしんでんむら 兵庫県:明石市松陰新田村[現在地名]明石市大久保町松陰新田(おおくぼちようまつかげしんでん)北と東は印南野(いなみの)の原野が広がり、南は鳥羽(とば)村、西は松陰村・大窪(おおくぼ)村。野々上組に所属。明暦元年(一六五五)には一三町歩余の新田と九つの溜池が完成し、新田が成立したという(播州明石記録)。印南野台地は土質が砂礫層で水に乏しいところから開発が進まず、原野のまま置かれたところが多かったが、当地の開拓は慶安二年(一六四九)藩主松平忠国が二一人を入植させたことに始まり、承応四年(一六五五)と寛文四年(一六六四)の検地帳(藤田家文書)には松陰新田村と記載され、田別は一三町七反余。「采邑私記」では新田村とのみ記載され、野々上組に属し高一七一石余、加役なく戸租も免除。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報