板木村(読み)いたぎむら

日本歴史地名大系 「板木村」の解説

板木村
いたぎむら

[現在地名]小出町板木

現南魚沼郡大和やまと町境にある標高約三二二メートルのじよう山の北麓にある。東は干溝ひみぞ村、南は山地雷土いかづち(現大和町)、北と西は虫野むしの村・伊勢島いせじま新田。正保国絵図に村名がみえ、高二二六石余。天和三年郷帳では浦佐組に属し、高三〇〇石二斗余。宝永五年(一七〇八)の魚沼郡御成箇郷帳(坂西謙司氏蔵)では、鍛冶役銀を納めている。宝暦六年(一七五六)の免相引下げ願(塩川重禧氏蔵)によると、この年は未曾有の大雪で雪中の費用も多くなり、これに加えて当村は湿地のため毎年稲虫の害がひどく、耕地家財などを質物にして上納してきたが、村がたちゆかないとして免相の引下げを願出ている。


板木村
いたぎむら

[現在地名]伊万里市波多津町はたつちよう板木

中央を行合野ゆきあいの川が蛇行しながら南流する標高一〇〇メートル台の丘陵地帯。慶長絵図に「板木村 波多津ノ内」とあり、文化年中記録によれば「畝数十一町六畝七歩」とある。

寛政(一七八九―一八〇一)以降の板木組書上帳(主屋文書)には田畑高のほか屋敷・紙木・茶・桑・口米・夫米・樹木代・真綿代銀・漆代・雉子御運上・小鳥御運上・旅出櫨御運上などが記されている。板木組の組元村であった板木村の庄屋は組の大庄屋でもあった。

村内に田島たじま神社がある。また法行ほうぎよう山は標高八〇メートルの小丘であるが、木場こば畑津はたつへの道の分岐点に位置する要害

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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