林田 亀太郎
ハヤシダ カメタロウ
- 肩書
- 衆院議員(政友会),衆院書記官長
- 別名
- 号=雲梯 芳艸園
- 生年月日
- 文久3年8月15日(1863年)
- 出生地
- 肥後国(熊本県)
- 学歴
- 帝国大学法科大学(現・東大法学部)政治科〔明治20年〕卒
- 経歴
- 法制局参事官、臨時帝国議会事務局書記官を経て、明治23年国会開設で衆院書記官、農商務省参事官兼務。30年衆院書記官長となり、選挙法改正案を起草、単記無記名式大選挙区制を定めた。大正5年退官、9年以来衆院議員当選2回、政友会に属した。11年革新倶楽部に参加し、14年新正倶楽部を結成。一方、鮫川電力社長、東京毎夕新聞主筆も務めた。文筆にも長じ、著書に「明治大正政界側面史」「日本政党史」(全2巻)「芸者の研究」「林田亀太郎の政治史」(全3巻)などがある。
- 没年月日
- 昭和2年12月1日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
林田 亀太郎
ハヤシダ カメタロウ
明治・大正期の政治家 衆院議員(政友会);衆院書記官長。
- 生年
- 文久3年8月15日(1863年)
- 没年
- 昭和2(1927)年12月1日
- 出生地
- 肥後国(熊本県)
- 別名
- 号=雲梯,芳艸園
- 学歴〔年〕
- 帝国大学法科大学(現・東大法学部)政治科〔明治20年〕卒
- 経歴
- 法制局参事官、臨時帝国議会事務局書記官を経て、明治23年国会開設で衆院書記官、農商務省参事官兼務。30年衆院書記官長となり、選挙法改正案を起草、単記無記名式大選挙区制を定めた。大正5年退官、9年以来衆院議員当選2回、政友会に属した。11年革新倶楽部に参加し、14年新正倶楽部を結成。一方、鮫川電力社長、東京毎夕新聞主筆も務めた。文筆にも長じ、著書に「明治大正政界側面史」「日本政党史」(全2巻)「芸者の研究」「林田亀太郎の政治史」(全3巻)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
林田亀太郎
没年:昭和2.12.1(1927)
生年:文久3.8.15(1863.9.27)
明治大正期の官僚,政治家。号は雲梯。肥後(熊本)藩士の子として生まれる。嘉悦氏房の広取黌に学ぶ。上京し,大学予備門に入る。明治20(1887)年帝大法科大政治学科卒業。同年法制局に入り,その後,法制局参事官,衆議院書記官,衆議院書記官長などを歴任。大正4(1915)年大浦兼武内相事件に連座し辞職。9年東京府第2区から衆院議員となる。11年革新倶楽部に参加し普選法案の起案に携わる。14年新正倶楽部を結成。また,鮫川電力社長,雑誌社長,『東京毎夕新聞』主筆などを務めた。<著作>『日本政党史』『政界側面史』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
林田亀太郎 はやしだ-かめたろう
1863-1927 明治-大正時代の官僚,政治家。
文久3年8月15日生まれ。法制局にはいり,明治30年衆議院書記官長となる。大正4年大浦兼武内相の贈賄事件にかかわって辞職。9年衆議院議員(当選2回,新正倶楽部(クラブ))。昭和2年12月1日死去。65歳。肥後(熊本県)出身。帝国大学卒。号は雲梯。著作に「日本政党史」「政界側面史」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
林田 亀太郎 (はやしだ かめたろう)
生年月日:1863年8月15日
明治時代;大正時代の政治家。衆議院議員;衆議院書記官長
1927年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報