林頼三郎(読み)ハヤシ ライザブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「林頼三郎」の解説

林 頼三郎
ハヤシ ライザブロウ


肩書
貴院議員(勅選),大審院長,中央大学総長

旧名・旧姓
旧姓=三輪

生年月日
明治11年9月6日

出生地
埼玉県行田市

学歴
東京法学院〔明治29年〕卒

学位
法学博士〔大正9年〕

経歴
明治30年司法省に入省。東京地裁部長、大審院検事、大正10年刑事局長、13年司法次官などを経て、昭和7年検事総長、10年大審院長。11年広田弘毅内閣の法相、12年勅選貴族院議員、13年枢密顧問官となり、中央大学総長。戦後22年公職追放、解除後27年再び中大総長となり3選。私立学校振興会長、法制審議会委員を兼任著書に「刑事訴訟法論」「日本陪審法要義」「刑法総論」などがある。

没年月日
昭和33年5月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「林頼三郎」の解説

林 頼三郎
ハヤシ ライザブロウ

明治〜昭和期の司法官僚 大審院長;貴院議員(勅選);中央大学総長。



生年
明治11(1878)年9月6日

没年
昭和33(1958)年5月7日

出生地
埼玉県行田市

旧姓(旧名)
三輪

学歴〔年〕
東京法学院〔明治29年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔大正9年〕

経歴
明治30年司法省に入省。東京地裁部長、大審院検事、大正10年刑事局長、13年司法次官などを経て、昭和7年検事総長、10年大審院長。11年広田弘毅内閣の法相、12年勅選貴族院議員、13年枢密顧問官となり、中央大学総長。戦後22年公職追放、解除後27年再び中大総長となり3選。私立学校振興会長、法制審議会委員を兼任。著書に「刑事訴訟法論」「日本陪審法要義」「刑法総論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林頼三郎」の解説

林頼三郎 はやし-らいざぶろう

1878-1958 明治-昭和時代の司法官,教育者
明治11年9月6日生まれ。司法省刑事局長,司法次官のとき治安維持法などの立案制定に関与した。検事総長,大審院長をへて昭和11年広田内閣の法相となる。のち貴族院議員,枢密顧問官。14年中央大学長,27年再任。昭和33年5月7日死去。79歳。埼玉県出身。東京法学院(現中央大)卒。旧姓は三輪。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「林頼三郎」の解説

林 頼三郎 (はやし らいざぶろう)

生年月日:1878年9月6日
明治時代-昭和時代の司法官;教育者。貴族院議員;私立学校振興会長
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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