日本歴史地名大系 「枯木村」の解説 枯木村かれきむら 大阪府:大阪市東住吉区枯木村[現在地名]東住吉区公園南矢田(こうえんみなみやた)三―四丁目・矢田(やた)五丁目・同七丁目丹北郡に属し、矢田部(やたべ)村の南西にある。大和川付替え後は同川の南北に村域が分れた。文禄検地高は三九八石余(享和二年「狭山藩領村方明細帳」中之島図書館蔵)。慶長一七年(一六一二)水割符帳(田中篤家文書)に「枯木」とみえ、狭山(さやま)池(現南河内郡狭山町)大樋筋から取水しており水懸高三九八石余。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では同高で、小物成として真薦・葭年貢米一石一斗二升、幕府領。寛文一〇年(一六七〇)村方に争論があり南北二村に分れ、延宝六年(一六七八)検地をうけ北枯木村一八四石余・南枯木村二五五石余となる。宝永元年(一七〇四)の新大和川開削により北枯木村七五石余、南枯木村一二六石余が川床となったため、残余は北枯木村一〇九石余・南枯木村一二六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by