東住吉区(読み)ヒガシスミヨシク

デジタル大辞泉 「東住吉区」の意味・読み・例文・類語

ひがしすみよし‐く【東住吉区】

東住吉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「東住吉区」の解説

東住吉区
ひがしすみよしく

面積:九・六八平方キロ

大阪市の南東部にあり、北は生野いくの区、東は平野区、南はほぼ大和川を境として松原市、西は阿倍野区・住吉区。中央東寄りをいま川が、西寄りをこま川が北流し、区域北部で合流して平野川に注ぐ。阿倍野区との境を国鉄阪和線、北部を同関西本線、ほぼ中央を南北に近鉄南大阪線が通り、東西に阪神高速大阪―松原線(地下は地下鉄谷町線)などが通る。南西部には市内でも有数の面積を誇る長居ながい公園がある。

〔原始―中世〕

大阪平野をおおっていた水域も弥生時代に入ると河内潟とよばれる状態になり、上町うえまち台地と瓜破うりわり台地の間に入込んでいた。今日桑津くわづ遺跡とよばれる弥生時代の遺跡は、河内潟が南東に接する場所に位置し、すぐ東に瓜破水系の川筋が南から流れ込み、水稲耕作に適した低湿地がそこここに出現していた地理的環境のもとに生れた。相当に大規模かつ著名な遺跡であるが、遺構の詳細はほとんどわからないままに市街化してしまった。古墳時代には桑津・田辺たなべ鷹合たかあいを中心に古墳群が出現する。遺構をとどめるものはきわめて少ないが、駒川に沿って南北約三・二キロにわたって分布した。田辺では山阪やまさか神社周辺に西向きの前方後円墳があったといわれ、鷹合には酒君塚さかきみづかがある。現在墳頂部に酒君塚の石碑が建つが、酒君とは百済の人で、「日本書紀」仁徳天皇四三年条に、依網よさみ屯倉(現住吉区など)阿弭古なる人物が捕らえ献上した鷹を、天皇が酒君に飼養させたとの記事が載る。

律令時代当区域には摂津・河内の国境が通り、一部は住吉津から河内中央に向かう磯歯津しはつ路と重なった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東住吉区」の意味・わかりやすい解説

東住吉〔区〕
ひがしすみよし

大阪市南部,大和川右岸の区。 1943年住吉区の東部が分離して新設。 74年東半部を平野区として分区。低平な我孫子 (あびこ) 台地上に位置し,かつては野菜,花卉などの近郊農業地であったが,南海電気鉄道平野線 (1980廃止) や近畿日本鉄道南大阪線が通じてから宅地化が進み,第2次世界大戦後公営住宅団地が急増して典型的な住宅地区となった。北部の JR関西本線沿いに中央卸売市場東部市場があり,南西部の長居にはスポーツ施設や自然史博物館などを備える長居公園がある。面積 9.75km2。人口 12万7849(2020)。

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