日本歴史地名大系 「柘榴村」の解説 柘榴村ざくろむら 京都府:相楽郡精華町柘榴村[現在地名]精華町大字柘榴乾谷(いぬいだに)村の西方に位置する。集落は山腹にあり、その南辺を山田(やまだ)川が流れ、川沿いに大坂街道が走る。山城国一揆の終末期、永正四年(一五〇七)一〇月一日当地辺りで合戦があり、「多聞院日記」同日条に「今日自此方木津・山田辺被取懸了、則柘榴焼了、雖然無殊事、於両方矢戦在之、手負数多在之、当座於高座辺両人生涯了」とみえる。享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳によれば、高二九七・三六五石、知行の内訳は旗本野々山新兵衛一八〇石、石清水(いわしみず)八幡宮橋本坊領六三石、禁裏御料(宝永二年の増御料)五四石余。明治一〇年代の調べによれば、田二五町余、畑二町余、戸口は一〇二戸、四〇二人、物産として菜種・製茶があった(京都府地誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by