日本歴史地名大系 「柞原村」の解説 柞原村くばらむら 香川県:丸亀市柞原村[現在地名]丸亀市柞原町丸亀平野の中央部に位置し、西は田(た)村。西の村境付近を丸亀・金毘羅街道が通る。中世の柞原庄の遺称地。寛永国絵図に柞原村・柞原下村がみえ、那珂(なか)郡柞原郷に所属。同郷は七村を含み高二千九〇三石余。生駒氏時代は北隣の山北(やまのきた)村も含んでいたが、寛永一八年(一六四一)山北は丸亀藩領、翌一九年柞原村は高松藩領となった。同一七年の生駒領高覚帳には柞原ノ郷とあり高八三三石余(山北分を含む)、天保九年(一八三八)の御領分明細記では六六二石余。池泉合符録によると溜池は庄ノ池(水掛高六三二石余)・馬池(三一三石余)ほか一があり、与北(よぎた)村買田(かいた)池(現善通寺市)からも取水していた。 柞原村ほそはらむら 奈良県:吉野郡野迫川村柞原村[現在地名]野迫川村大字柞原中原(なかはら)川流域、平川(ひらかわ)村の西に立地。十二村(じゆうにそん)郷野川(のかわ)組に属する。慶長郷帳では十二村二〇〇石のうちに含まれ、幕府領。延宝検地により村高は四九・八一三石となった。高野豆腐の生産地である。村社の厳島(いつくしま)神社本殿は江戸末期の建築。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by