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柴田剛中 しばたごうちゅう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柴田剛中
しばたごうちゅう

江戸時代末期の幕臣外国奉行。日向守。生麦事件の賠償問題やアメリカの減税約書調印など,多難な外交の衝にあたり,フランス公使 L.ロッシュとの間に結ばれた協定に基づき,慶応1 (1865) 年,理事官として渡欧,製鉄所その他の資材買付けや軍事教官招聘などに尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柴田剛中 しばた-たけなか

1823-1877 江戸時代後期の武士。
文政6年1月17日生まれ。幕臣。安政5年外国奉行支配組頭となり,神奈川開港につくす。文久元年遣欧使節にくわわる。外国奉行として箱館に勤務し,慶応元年軍制調査などのためフランス,イギリスにわたる。大坂町奉行,兵庫奉行などを兼任し,慶応4年隠居。明治10年8月24日死去。55歳。江戸出身。通称は貞太郎。号は恬斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

柴田剛中

没年:明治10.8.24(1877)
生年:文政6.1.17(1823.2.27)
幕末の幕臣。良通の長男。天保13(1842)年徒目付昇進を皮切りに,嘉永6(1853)年評定所出仕,安政1(1854)年同留役助,翌2年評定所留役に累進。同5年外国奉行支配組頭となり,神奈川(横浜)の開港場設置のため外国使節団と交渉。以後,外人殺傷事件や貨幣兌換問題など多難の時期の外交の第一線で活躍。文久2(1862)年開市開港延期談判の竹内保徳遣欧使節に組頭として参加,帰国後外国奉行並,翌年外国奉行に累進し箱館に赴任。慶応1(1865)年軍政調査と横須賀製鉄所建設のためフランスへ渡航,陸軍教師を招聘する一方,パリで通商関係樹立をねらうイタリアの遣日使節と交渉した。帰国後,同3年大坂町奉行,兵庫奉行などを歴任し,兵庫開港問題解決に努力した。明治維新後は新政府に仕えなかった。<参考文献>「幕府名士小伝」(『旧幕府』1巻2号)

(岩壁義光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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