柴田家門(読み)しばた かもん

共同通信ニュース用語解説 「柴田家門」の解説

柴田家門

1863~1919年。山口県萩市出身で、明治から大正にかけての官僚政治家。年少期には同郷田中義一たなか・ぎいち(首相)、藤井幸槌ふじい・こうつち(陸軍中将)とともに秀才と呼ばれた。上京後に東京帝大を卒業。第1次、第2次桂太郎内閣では内閣書記官長、第3次桂内閣では文相として入閣貴族院議員も務めた。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「柴田家門」の解説

柴田 家門
シバタ カモン


肩書
文相,貴院議員(勅選),内閣書記官

別名
号=岑堂

生年月日
文久2年12月18日(1863年)

出生地
長門国萩(山口県萩市)

学歴
帝大法科大学(現・東大法学部)〔明治23年〕卒

経歴
内閣書記官、法制局参事官などを経て、明治31年内務省地方局長、34〜39年第1次桂太郎内閣の書記官長。36年勅選貴院議員。41年第2次桂内閣の書記官長。拓殖局総裁を経て、大正元年第3次桂内閣の文相。2年勅選貴院議員。防長教育会、防長倶楽部などにも尽力

没年月日
大正8年8月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「柴田家門」の解説

柴田 家門
シバタ カモン

江戸時代末期〜大正期の政治家,官僚 文相;貴院議員(勅選);内閣書記官長。



生年
文久2年12月18日(1863年)

没年
大正8(1919)年8月25日

出生地
長門国萩(山口県萩市)

別名
号=岑堂

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大法学部)〔明治23年〕卒

経歴
内閣書記官、法制局参事官などを経て、明治31年内務省地方局長、34〜39年第1次桂太郎内閣の書記官長。36年勅選貴院議員。41年第2次桂内閣の書記官長。拓殖局総裁を経て、大正元年第3次桂内閣の文相。2年勅選貴院議員。防長教育会、防長倶楽部などにも尽力。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田家門」の解説

柴田家門 しばた-かもん

1863*-1919 明治-大正時代の官僚,政治家。
文久2年12月18日生まれ。内閣書記官,法制局参事官,内務省地方局長などを歴任。第1次・第2次桂内閣の内閣書記官長となる。明治36年貴族院議員。のち拓殖局総裁,第3次桂内閣の文相をつとめた。大正8年8月25日死去。58歳。長門(ながと)(山口県)出身。帝国大学卒。号は岑堂(しんどう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android