20世紀日本人名事典 「柴田政太郎」の解説
柴田 政太郎
シバタ マサタロウ
- 生年
- 明治17(1884)年11月10日
- 没年
- 昭和28(1953)年3月12日
- 出生地
- 秋田県羽後町
- 別名
- 号=果,木鶏,紫陽花
- 主な受賞名〔年〕
- 帝展2位〔昭和9年〕
- 経歴
- 14歳頃から篆刻をはじめたといわれ、長じて果の号を用い、多くの篆刻を制作。その手にかかる印は犬養毅や張学良らにも愛用された。また、国工の称号を持つ刀工でもあり、古文献を漁って鎌倉時代前後に絶滅したと言われる鍛刀法を復活。さらに水素還元法などの科学的な技術を制作に導入し、昭和9年には帝展に鍛刀を出品して2位入賞を果たした。その活躍は以上に留まらず、自ら「一芸三年」と称し、剣道は四段、柔道は三段、謡曲は秋田における喜多流の重鎮で、同時に太鼓も修め、書は黄山谷の風を受け継ぎ、紫陽花と号して俳句も嗜んだ。発明家としてもすぐれ、箸の製造機で特許を取得。その他にも、秋田県議を1期務めるなど、多才多芸の人であった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報