20世紀日本人名事典 「栗原イネ」の解説 栗原 イネクリハラ イネ 明治・大正期の実業家 大同毛織創業者。 生年嘉永5年3月5日(1852年) 没年大正11(1922)年1月31日 出生地下野国安蘇郡植野村(栃木県) 主な受賞名〔年〕緑綬褒章〔大正8年〕 経歴反物、荒物商の長女に生まれる。父が林業で失敗、長女として一家を支えた。17歳で結婚、21歳で再婚。明治11年加藤庄平と3度目の結婚をした後上京し、無一文から賃機をはじめる。17年33歳の時、織機7台で本所林町に栗原稲工場を設立。21年庄平と離婚、以後女手ひとつで仕事に打ち込み、創意工夫の織物を作って事業を拡大した。33年一子幸八の嫁にウメを迎え、毛織物専業工場とし、45年栗原紡績工場と改称、のちの大同毛織の基礎を築いた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「栗原イネ」の解説 栗原イネ 没年:大正11.1.31(1922) 生年:嘉永5.3.5(1852.4.23) 明治期の実業家。下野国(栃木県)安蘇郡植野村で農業のかたわら反物・荒物商を営んだ栗原和市とウタの長女。父の事業の失敗で幼少より機織りなどして生計を助ける。3度目の夫加藤庄平と,先夫の子幸八とで上京。無一文から賃機をはじめ,明治17(1884)年,33歳のとき織機7台,織り子数人で,栗原稲工場(のち大同毛織,現ダイドーリミテッドの母体)を設立。翌18年離婚。女手ひとつで仕事に打ち込み「巴御前」「機の神様」などの異名を持ち,染色や織物に創意工夫をし,斬新な織物を作って事業を拡張した。町工場が中小企業となり大企業へと発展する過程は,日本近代工業発達史そのものである。<参考文献>大同毛織資料室編『糸ひとすじに』 (山内陽子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗原イネ」の解説 栗原イネ くりはら-イネ 1852-1922 明治-大正時代の実業家。嘉永(かえい)5年3月5日生まれ。3度めの夫と上京,無一文から賃機(ちんばた)で双子縞(ふたこじま)をおりはじめ,明治17年栗原稲工場(栗原紡織,大同毛織をへて現ダイドーリミテッド)を設立。18年離婚。女手ひとつで趣向をこらした織物をつくり事業を発展させた。大正11年1月31日死去。71歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by