栗原玉葉(読み)クリハラ ギョクヨウ

20世紀日本人名事典 「栗原玉葉」の解説

栗原 玉葉
クリハラ ギョクヨウ

明治・大正期の日本画家



生年
明治16(1883)年4月10日

没年
大正11(1922)年9月9日

出生地
長崎県南高来郡山田村(現・吾妻町)

本名
栗原 文子

学歴〔年〕
女子美術学校〔明治42年〕卒

経歴
長崎市の梅香崎女学校洗礼を受ける。女学校の教師カウチ女史の援助により女子美術学校に進み、端館紫川寺崎広業師事。大正2年30歳のとき第7回文展に「さすらい」が入選、出世作となる。さらに第8回展で褒賞、第9回展で2等賞を受賞、女流美人画家の地位名声を確立した。当時の女流画家のほとんどを擁する月曜会を主宰し、母校の女子美術学校教授として後進の指導にもあたった。他の作品に「お鶴」「身のさち心のさち」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗原玉葉」の解説

栗原玉葉 くりはら-ぎょくよう

1883-1922 明治-大正時代の日本画家。
明治16年生まれ。端館紫川(はしだて-しせん),寺崎広業にまなび,母校女子美術学校(現女子美大)の教授となる。文展,帝展で活躍し,将来を期待されたが,大正11年9月9日40歳で没した。長崎県出身。本名は文子。作品に「さすらひ」「清姫物語」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「栗原玉葉」の解説

栗原 玉葉 (くりはら ぎょくよう)

生年月日:1883年4月10日
明治時代;大正時代の画家。日本女子美術学校教授
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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