桃崎浜(読み)ももざきはま

日本歴史地名大系 「桃崎浜」の解説

桃崎浜
ももざきはま

[現在地名]中条町桃崎浜

胎内たいない川とあら川が日本海へ注ぐ河口西岸にあり、東は岩船海老江えびえ(現荒川町)、南は地蔵堂じぞうどう村に接する。天正年間(一五七三―九二)の成立とされる色部氏年中行事(色部文書)に「もゝさきのわたしもり」とみえ、毎年正月一六日には桃崎の渡守が色部氏の元に参じ、半形餅一枚を与えられる習わしであった。文禄三年(一五九四)の色部氏差出(斎藤実寿氏蔵)に「桃崎村」とあり、渡役三貫五〇〇文が課せられているが、今は出していないと記される。文禄頃の瀬波郡絵図には「色部分崎村 下」とあり、本納なく、縄高一〇石二斗九升七合、家数二四軒。蒲原郡との境は南方の砂山上に引かれており、このころは瀬波せなみ(岩船)郡に属していた。正保国絵図では一四石余とあり、「嶋桃崎村 八石余」「相子村 九石余」も桃崎浜に含まれると推定される。近世を通じ村上藩領。寛永一七年(一六四〇)頃にはおお町・うら町・なか町・しん町・浜町からなり、大町が最も早く開かれた地域と伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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