桐ヶ谷北村(読み)きりがやきたむら

日本歴史地名大系 「桐ヶ谷北村」の解説

桐ヶ谷北村
きりがやきたむら

[現在地名]流山市きた小屋こやなど

桐ヶ谷南村の北に位置する。西を江戸川に画され、田地は刺股状に入り込む村北部の低地に広がる。村の南東端、字谷ッ田やつだは桐ヶ谷谷津の谷津頭となる。寛永二年(一六二五)知行宛行状で天野重房に桐ヶ谷村の一一〇石が与えられている。この一一〇石は宛行先からみて当村のうちであったと考えられる。元禄郷帳では高一七五石余。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分によると旗本天野・岡野(岡部)両氏の相給。岡部氏領分はのち小屋こや村として分村した。分村後の享和三年(一八〇三)の小金町六拾七ヶ村高帳では高一一〇石。小屋村とは東部の台地上で激しく入組んでいる。水戸徳川家の鷹場に指定され、寛保二年(一七四二)からは小金こがね宿(現松戸市)定助郷隔年に勤めた(前掲六拾七ヶ村高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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