日本歴史地名大系 「桐谷村」の解説 桐谷村きりたにむら 富山県:婦負郡八尾町桐谷村[現在地名]八尾町桐谷滝脇(たきのわき)村の南東方、久婦須(くぶす)川の最上流域に位置する。天正一一年(一五八三)八月二〇日の知行方目録(土佐国蠧簡集残篇)に「参百六拾俵之所 同郡西きり谷・東きり谷・赤蔵」とみえ、佐々成政が当所などを佐々定能に与えている。寛永一八年(一六四一)頃の諸寺道場締役覚書(聞名寺文書)に「桐谷村順正」とみえ、八尾聞名(もんみよう)寺の道場役として綿高二五匁・代銀四匁余を納めていた。正保郷帳に村名がみえ、高二九七石余、田方六町五反余・畑方一三町三反余。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では高二二七石余。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高四九〇石余。寛政二年(一七九〇)の古高四〇四石余・定免二ツ二歩、新田高四〇石余・平均免一ツ三歩九厘余、小物成銀は山役三一匁余・蝋役一匁余・川原役三匁(高物成品々手鏡)。幕末の高四〇四石余・免二ツ三歩、銀納高四〇石余・免二ツ、山役三一匁余・蝋役一匁余・川原役三匁(古高免小物成銀等書上)。 桐谷村きりざくむら 千葉県:香取郡山田町桐谷村[現在地名]山田町桐谷新里(につさと)村の東、下総台地東部の丘陵上に位置し、北は鳩山(はとやま)村。慶長一五年(一六一〇)の長岡(ながおか)村浅間(せんげん)大明神(現稲葉山神社)本社建立の棟札に寄進村の一として村名がみえる。元禄郷帳には「桐作村」と記される。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二四二石余、旗本小田切・渡辺・松波領の三給。松波領は同一六年に上知され(寛政重修諸家譜)、弘化二年(一八四五)の関東取締出役控帳では旗本小田切・渡辺・石河領の三給。 桐谷村きりだにむら 岐阜県:吉城郡国府町桐谷村[現在地名]国府町桐谷荒城(あらき)川の小支流桐谷川沿いの山間にあり、南は漆垣内(うるしがいと)村、西は峠越しに山本(やまもと)村。慶長一〇年(一六〇五)の飛騨国郷帳では切谷と記され荒木(あらき)郷に属し、宮地(みやじ)村など七村分として高が記される。同一八年の郷帳では切谷村とあり、高一一八石余。元禄検地反歩帳によると吉城郷に属し、高七九石余、田八町余・畑三町一反余。「飛騨国中案内」では免五割一分三厘、家数一八(うち百姓一六・門屋二)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by