桑折陣屋跡(読み)こおりじんやあと

日本歴史地名大系 「桑折陣屋跡」の解説

桑折陣屋跡
こおりじんやあと

[現在地名]桑折町 陣屋

旧伊達郡役所の東側一帯に位置し、幕府および桑折藩の陣屋として利用された。貞享三年(一六八六)冬、幕府代官柘植伝兵衛が福島町(現福島市)から桑折村に陣屋を移し、信夫しのぶ・伊達両郡六万八千石を管轄したのが始まりとされる(「信達両郡案内記」福島市史、「御蔵守伝記大略」桑折町史)。元禄一三年(一七〇〇)桑折藩が立藩、同藩の陣屋として引継がれた。延享四年(一七四七)桑折藩主松平氏の転封に伴って再び幕府直轄地となり、佐渡奉行預地とされ当陣屋が使われた。寛延二年(一七四九)神山三郎左衛門のときから桑折代官が置かれ、九人の代官が詰めた。安永四年(一七七五)から寛政元年(一七八九)まで桑折村などは仙台藩の預地となったが陣屋は引継がれ、その後岸本弥三郎のときから明治維新まで一一人の代官を数えた(桑折町史)。なお桑折陣屋にはおよそ二〇人ほどの銀山方が置かれていたが、それがいつからかは不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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