朝日日本歴史人物事典 「梅村速水」の解説
梅村速水
生年:天保13.1.4(1842.2.13)
幕末の志士,明治初年の高山(岐阜)県知事。水戸藩士沼田泰誨の次男。名は準,通称準次郎。長兄の死後藩主徳川慶篤に従って上洛し,文久期の尊攘運動高揚に接する。元治1(1864)年の水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵には加わらず,脱藩して江戸に出,別途志士活動を展開。明治1(1868)年東山道鎮撫総督府より飛騨国出役を命ぜられた。のち高山県設置とともに初代知事となる。人別米・山方米の廃止,商法局の設置など新政があまりに性急であったため民心の反発を招き,県民蜂起「梅村騒動」により失脚した。なお,同郷の江馬修 は歴史小説『山の民』でこの事件を扱っている。
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報