日本歴史地名大系 「梨子羽郷」の解説 梨子羽郷なしわごう 広島県:豊田郡本郷町梨子羽郷「和名抄」所載の沼田(ぬた)郡梨葉(なしわ)郷を引継ぎ、近世初頭まで存在した郷。「梨羽」とも書く。沼田川流域の沼田文化圏の中心部を構成するとともに、沼田庄の中心郷の一。郷域は沼田川の支流梨和(なしわ)川・尾原(おばら)川、尾原川支流三次(みよし)川流域を中心とし、鎌倉時代末期に南方(みなみがた)と北方(きたがた)に二分され、北方はさらに二分されたため郷内は南方村と上北方村・下北方村となり、近世に下北方村より善入寺(ぜんにゆうじ)村が分離し、梨子羽四郷と総称されることもあった。郷内には尾原川沿いの一帯を中心に、御年代(みとしろ)古墳・梅木平(ばいきひら)古墳に代表される後期古墳が数多く構築されており、これらは畿内型の特徴をもち、大和政権との連係を推測させる。梅木平古墳の東方には、白鳳期の横見(よこみ)廃寺跡がある。またこれに続いて茅(かや)ノ市(いち)・原市(はらいち)の市場集落があり、付近を古代山陽道が東西に通過し、梨葉駅(延喜式)が置かれた。丘陵地帯で谷が発達し、水稲耕作は谷につくられた棚田に依存しているが、弘安四年(一二八一)正月一七日付の梨子羽郷楽音寺新灯油田坪付(楽音寺文書)は、条里制の施行をうかがわせる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by