沼田庄(読み)ぬたのしよう

日本歴史地名大系 「沼田庄」の解説

沼田庄
ぬたのしよう

古代の豊田郡沼田郡を主な荘域とする。開発領主沼田氏が本下司職を留保して中央貴族に寄進して成立したが詳細は不明。平家没官領となっているので、当初の領家は平氏側貴族と考えられる。平氏滅亡後は、京都蓮華王院が本家となった(文永三年四月九日付「関東下知状」小早川家文書)承久の乱後、領家職は幕府に没収され西園寺家に移る(嘉禎四年一一月一一日付「一条入道太政大臣家政所下文案写」同文書)。預所は橘氏(東禅寺文書)。本下司沼田氏は平氏にくみして壇之浦に滅び(貞応二年「安芸都宇竹原并生口島荘官罪科注進状写」小早川家文書)、代わって小早川氏が地頭として東国から来住、沼田氏のあとを受けて在地領主となった(正応五年正月日付「地頭尼浄蓮代浄円陳状」楽音寺文書)。領家職はそのまま西園寺家に相承されるが、一部はその子女に分割して譲られている(応長元年八月二四日付「六波羅召文御教書案写」小早川家文書)

沼田庄は本庄新庄とからなり、単に沼田庄という場合は本庄をさすこともある。本庄は、おもに沼田川本流・支流域の平坦地に展開し、「和名抄」所載の沼田郡の七郷のうち、沼田・舩木ふなき梨葉なしわ(現豊田郡本郷町)今有いまり安直あちか真良しんら(現三原市)の六ヵ郷を含む地域を荘域とする(同文書)。なお、永寿えいじゆう(現世羅郡世羅町)蔵の大般若経奥書によると、永和三年(一三七七)・同四年に沼田庄内香根こうね(現豊田郡瀬戸田町高根)長善ちようぜん寺で書写されたものがみられ、荘域が島嶼部に及んでいることが知られる。建長四年(一二五二)一一月日付の安芸沼田本庄方正検注目録写(同文書)によると、見作田二五〇町二反三二〇歩(うち除田二五町一反)、所当米六八六石七升六合で、除田は仏神田および地頭給など人給である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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