梨本 伊都子
ナシモト イツコ
明治〜昭和期の女性 元皇族・梨本守正氏夫人。
- 生年
- 明治15(1882)年2月2日
- 没年
- 昭和51(1976)年8月19日
- 出生地
- イタリア・ローマ
- 出身地
- 佐賀県
- 経歴
- 佐賀鍋島藩の19代目で、当時イタリア大使だった鍋島直大侯爵の次女として、ローマに生まれ、7歳で華族女学校に入学する。明治33年、久邇宮朝彦親王の第四皇子で“ひげの宮様”として知られた梨本宮守正王と結婚、34年長女方子誕生。昭和22年「臣籍降下」により皇籍離脱するまで皇族妃として過す。昭和50年、明治・大正・昭和の三代の天皇の素顔を描いた「三代の天皇と私」を出版。51年死去。平成元年4月、17歳の時から死去の2ヶ月前までの78年間にわたる日記が公開された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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梨本伊都子 なしもと-いつこ
1882-1976 明治-昭和時代,梨本守正の妻。
明治15年2月2日ローマ生まれ。鍋島直大(なおひろ)の次女。李方子(イ-パンジヤ)の母。明治33年結婚し皇族となる。夫が留学中のフランスにいき,社交界の花とうたわれた。戦後夫が皇族中唯一の戦犯となる。昭和22年皇族籍を離脱。昭和51年8月19日死去。94歳。華族女学校卒。著作に「三代の天皇と私」,日記に「梨本伊都子日記」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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梨本 伊都子 (なしもと いつこ)
生年月日:1882年2月2日
明治時代-昭和時代の皇族
1976年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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