鍋島直大(読み)ナベシマ ナオヒロ

20世紀日本人名事典 「鍋島直大」の解説

鍋島 直大
ナベシマ ナオヒロ

江戸時代末期〜大正期の侯爵 元老院議官;式部長官;貴院議員。



生年
弘化3年8月27日(1846年)

没年
大正10(1921)年6月19日

出生地
肥前国佐賀城二の丸(佐賀県)

別名
幼名=淳一郎,直縄,前名=茂実(信濃守)

経歴
文久元年(1861年)最後の佐賀藩主となる。藩政刷新に努め、慶応3年(1867年)フランスの万国大博覧会に有田焼を出品。明治元年2月議定職、外国事務局輔加勢、同局権輔、3月横浜裁判所副総督となり、戊辰戦争では藩兵を東北に派遣。同年6月外国官副知事に任命され、対スペイン和親条約締結全権委員となり、のち左近衛権少将、参与職につく。2年薩長土3藩と版籍奉還首唱、4年廃藩置県後イギリスに留学。12年帰国して外務省御用掛、13年駐イタリア公使となる。15年帰国して元老院議官、17年候爵授爵。同年式部長官、23年貴院議員、30年宮中顧問官を歴任。皇典講究所長、国学院院長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「鍋島直大」の意味・わかりやすい解説

鍋島直大 (なべしまなおひろ)
生没年:1846-1921(弘化3-大正10)

佐賀藩最後の藩主。直正の子。1861年(文久1)襲封,71年(明治4)廃藩置県後,佐賀の乱直後を除いてアメリカ,イギリスに滞在し,78年に帰国。80年にイタリアに全権公使として赴任し,82年帰国した。その後,元老院議官(1886年まで)兼式部頭(1895年まで)に就任。国会開設以後は貴族院議員となり,のち宮中顧問官にも任ぜられた。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鍋島直大」の解説

鍋島直大 なべしま-なおひろ

1846-1921 幕末-大正時代大名,華族
弘化(こうか)3年8月27日生まれ。鍋島閑叟(かんそう)の次男。文久元年肥前佐賀藩主鍋島家11代となる。維新後,新政府の議定(ぎじょう)などの要職につく。イギリスに留学後,特命全権公使としてイタリアに駐在。貴族院議員。侯爵。大正10年6月19日死去。76歳。初名は直縄(なおただ),のち茂実(しげざね)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鍋島直大の言及

【都の春】より

…山田流奥手事物。作詞は鍋島直大(なおひろ)で,都の春景色にことよせて,明治という新時代を賛美し,同校の前途を祝している。山田流の歌物とは違って,むしろ地歌の手事物形式を使用し,器楽的技法を重視した手法に特色をもたせている。…

※「鍋島直大」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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