梶谷善久(読み)カジタニ ヨシヒサ

20世紀日本人名事典 「梶谷善久」の解説

梶谷 善久
カジタニ ヨシヒサ

昭和期の国際問題評論家 日朝文化交流協会理事長;ジャーナリスト懇話会会長。



生年
明治44(1911)年3月28日

没年
平成2(1990)年9月3日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
大阪商科大学経営学科(現・大阪市立大学)〔昭和11年〕卒

経歴
昭和12年朝日新聞社入社。戦争中陸軍報道班員となってジャワに渡り、戦後イギリスの捕虜となる。帰国後、社会部、外報部記者などを経て41年退職。この間、労組委員長となり、レッドパージ解雇されたが、33年に最高裁が「解雇は不当労働行為」との判決を下して勝訴著書に「アジアを歩く見る考える」「日本をとりまく19億人」「現在アジア入門」「ビジネスマンのための国際感覚を鍛える本」「読者にとって新聞とは何か」「北の経済・南の経済」「塔と広場への旅」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶谷善久」の解説

梶谷善久 かじたに-よしひさ

1911-1990 昭和時代新聞記者,評論家。
明治44年3月28日生まれ。昭和12年朝日新聞社にはいり,17年からジャワ特派員。24年全朝日新聞労組委員長となり,翌年レッドパージで解雇されたが,のち勝訴・復職した。退職後,アジア問題の評論などで活躍。日朝文化交流協会理事長。平成2年9月3日死去。79歳。大阪出身。大阪商大(現大阪市立大)卒。著作に「クーデター内幕」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「梶谷善久」の解説

梶谷 善久 (かじたに よしひさ)

生年月日:1911年3月28日
昭和時代の国際問題評論家。日朝文化交流協会理事長;ジャーナリスト懇話会会長
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android