森 恭三
モリ キョウゾウ
昭和期のジャーナリスト,評論家 元・朝日新聞論説主幹。
- 生年
- 明治40(1907)年9月24日
- 没年
- 昭和59(1984)年2月15日
- 出生地
- 兵庫県西宮市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 昭和5年大阪朝日新聞に入社。経済記者からニューヨーク支局員、戦中は南方や上海を取材。戦後は朝日労組委員長。副委員長の広岡知男と共に共産党と対立。戦後の朝日は森・広岡ラインにより運営されたという説もある。27年ヨーロッパ総局長、39年論説主幹を経て、42年定年退職。著書に「日本を考える」「ヨーロッパ通信」「記者遍路」「風速計」「私の朝日新聞社史」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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森恭三
もりきょうぞう
[生]1907.9.24. 兵庫
[没]1984.2.15. 東京
新聞記者。 1930年東京大学法学部を卒業後,大阪朝日新聞社入社。 37年ニューヨーク支局員となり,太平洋戦争開戦前夜の日米関係の報道にあたる。戦争中は海軍報道班員として東南アジア方面の前線におもむいた。 52年ヨーロッパ総局長となり,東欧諸国を回って戦後ヨーロッパの変動をいきいきと伝えた。 64年から論説主幹をつとめ,革新的論調を指導し,67年退社後は評論活動を行なった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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森恭三 もり-きょうぞう
1907-1984 昭和時代の新聞記者。
明治40年9月24日生まれ。昭和5年大阪朝日新聞社にはいる。12年ニューヨーク支局員。戦時中は海軍報道班員として東南アジアをまわる。戦後は労組委員長。27年ヨーロッパ総局長となり,39年論説主幹。昭和59年2月15日死去。76歳。兵庫県出身。東京帝大卒。著作に「私の朝日新聞社史」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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森 恭三 (もり きょうぞう)
生年月日:1907年9月24日
昭和時代の新聞記者。朝日新聞論説主幹
1984年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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