日本大百科全書(ニッポニカ) 「森田悟由」の意味・わかりやすい解説
森田悟由
もりたごゆう
(1834―1915)
幕末・明治期の曹洞(そうとう)宗の僧。号は大休、勅賜号は性海慈船禅師(しょうかいじせんぜんじ)。名古屋・大光院の竜山泰門(りゅうざんたいもん)について出家し、江戸駒込(こまごめ)・吉祥寺の学寮で修学の間、東条一堂(とうじょういちどう)に漢籍を学ぶ。ついで前橋の竜海院と金沢の天徳院において諸嶽奕堂(もろたけえきどう)(1805―1879)に参じ、名古屋の陽泉寺(ようせんじ)の天瑞白竜(てんずいびゃくりゅう)に法を嗣(つ)ぐ。金沢の竜徳寺、玉竜寺、天徳院などを歴住し、宗門の儀軌(ぎき)である『洞上行持軌範(とうじょうぎょうじきはん)』を編み、1891年(明治24)には永平寺64世の貫首(かんしゅ)となり、曹洞宗宗憲の制定に努めた。大正4年2月9日82歳で入寂。
[櫻井秀雄 2017年10月19日]
『『大休悟由禅師広録』6冊(1919~1921・三合庵/複製7冊(別冊とも)・1985・永平寺)』