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東条一堂 とうじょう いちどう

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美術人名辞典の解説

東条一堂

江戸後期の儒者。上総生。名は弘、字は子毅、通称は文蔵、幼字を和七郎といった。初め皆川淇園の門に入ったが、のち佐藤一斎尾藤二洲らと来往した。安政4年(1857)歿、80才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東条一堂 とうじょう-いちどう

1778-1857 江戸時代後期の儒者。
安永7年11月7日生まれ。京都で皆川淇園(きえん)に師事。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩儒をへて江戸で塾をひらき,古注学をおしえる。海防論にも通じ,老中阿部正弘(まさひろ)の相談役となった。安政4年7月13日死去。80歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。本姓は逸見。名は弘。字(あざな)は子毅。通称は文蔵。著作に「学範」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

東条一堂

没年:安政4.7.13(1857.9.1)
生年:安永7.11.7(1778.12.25)
江戸後期の儒者。名は弘,字は子毅,通称文蔵。本姓源。上総国埴生郡八幡原村(千葉県茂原市)の富農,江戸で医を開業した自得の次男。母は片岡氏。墓碑によれば16歳(1793)で志を立て,京都の儒者皆川淇園門下に10年を過ごした。その後江戸に帰り亀田鵬斎,朝川善庵,羽倉簡堂などと交わった。文化の初めに弘前藩に督学として迎えられたが,建議が受け入れられないのを不服として江戸に帰り,昌平坂学問所のそば,のち,お玉が池に私塾を開いた。古注学に精しく,朱子学を強く排斥した。町の儒者でありながら多くの権家に信頼され,閣老阿部正弘の諮問を受けるほど実学の名声は高かった。著書は『学範』『論語知言』『五弁』など多種。<著作>『東条一堂著作集』全7巻<参考文献>鴇田恵吉『東条一堂伝』,東条会館編『儒者東条一堂小伝』

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東条一堂
とうじょういちどう
(1778―1857)

江戸後期の儒学者。安永(あんえい)7年上総(かずさ)国(千葉県)に生まれる。名は弘、字(あざな)は子毅(しき)、通称文蔵、一堂と号す。16歳で京都に行き、折衷派の皆川淇園(みながわきえん)に師事、数年にして江戸に帰り、同じく折衷派の亀田鵬斎(かめだほうさい)に学ぶ。程朱(ていしゅ)学の仏老に混ずるを慨し、『四書知言』や『五辨(ごべん)』(道徳、天文、生命、有無、虚静)を著し、古典の正確な考証を求めた。そのほか『老子標識』『繋辞答問(けいじとうもん)』など著書は多い。安政(あんせい)4年没。[渡部正一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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