日本歴史地名大系 「森田町」の解説
森田町
もりたまち
文治五年(一一八九)一〇月一九日源頼朝は奥州合戦戦勝祈願成就の報賽として宇都宮(現二荒山神社)に奉幣し、併せて同宮に一庄園を寄進しているが(吾妻鏡)、文明一六年(一四八四)の宇都宮大明神代々奇瑞之事(群書類従)によれば、これは生贄狩料所として那須庄内の五ヵ郷、ならびに日御供料所としての「森田・向田」両郷であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文治五年(一一八九)一〇月一九日源頼朝は奥州合戦戦勝祈願成就の報賽として宇都宮(現二荒山神社)に奉幣し、併せて同宮に一庄園を寄進しているが(吾妻鏡)、文明一六年(一四八四)の宇都宮大明神代々奇瑞之事(群書類従)によれば、これは生贄狩料所として那須庄内の五ヵ郷、ならびに日御供料所としての「森田・向田」両郷であった。
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