森茂村(読み)もりもむら

日本歴史地名大系 「森茂村」の解説

森茂村
もりもむら

[現在地名]神岡町森茂

西の伊西いにし村から小峠を越して入る。北は岩井谷いわいだに村。伊西・森茂・岩井谷から流れ出る三本の谷が下之本しものもと村下で合流佐古さこ村で跡津あとつ川と落合う。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳にもりも村とあり、高原たかはら郷に属し、高一五七石余。元禄検地反歩帳では高二七石余、田一九町余・畑二町四反余。「飛騨国中案内」では免四割九分九厘余、家数三六(うち百姓三二・門屋四)、家作は大部分は榑葺。「斐太後風土記」では村域縦一三町・横五町、家数二六・人数二〇〇、おもな産物は稗九九石・桑五〇〇貫目・麻二五貫目・烟草一五〇斤・布二五疋・蕨粉九石二斗・蕨縄八束など。


森茂村
もりもむら

[現在地名]清見村森茂

南西流する森茂川の流域を占め、東方は大谷おおたに村。長瀬の浄楽ながせのじようらく(現白川村)に伝わる明応八年(一四九九)本願寺実如下付の本尊裏書に「白川モイモ」とある。元禄飛騨国検地反歩帳の白川しらかわ郷に村名がみえ、高三石余、田二反余・畑二町余。「飛騨国中案内」によれば免は一割九分一厘、家数一〇、うち百姓九・門屋一。天正(一五七三―九二)頃森茂金山が盛行した。森茂川本流筋と支流スジ谷には砂金せり流し場の跡が、スジ谷奥にはまぶ跡も残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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