20世紀日本人名事典 「椋本竜海」の解説 椋本 竜海ムクモト リョウカイ 明治〜昭和期の僧侶 真言宗泉涌寺派管長。 生年明治2年8月5日(1869年) 没年昭和25(1950)年1月16日 出生地徳島県那賀郡 旧姓(旧名)樫野 学歴〔年〕真言宗古義大学林〔明治24年〕卒,哲学館卒 経歴明治12年故郷の真言宗福蔵寺幹竜誓について仏門に入り、雲竜院釈玄猷の徒弟を経て、大学林などに学んだ、のち鼎竜から真言密教の実践的な根本十二流を伝承、泉涌寺所伝別受戒を受けた。27年の日清戦争には従軍布教師として清国に渡航。29年開教師として台湾駐在。31年帰国、京都泉涌寺塔頭新善光寺の住職、以来泉涌寺務長、仏教連合会幹事、真言宗泉涌寺派宗務長などを経て、大正15年泉涌寺長老同派管長となった。大僧正。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「椋本竜海」の解説 椋本竜海 むくもと-りょうかい 1869-1950 明治-昭和時代の僧。明治2年8月5日生まれ。徳島福蔵寺の幹竜誓について出家。京都雲竜院の釈玄猷の弟子となり,真言宗古義大学林,哲学館(現東洋大)でまなぶ。日清戦争の従軍布教師となり,台湾では弘法寺の設立に尽力。大正15年泉涌寺派(せんにゅうじは)管長。昭和25年1月16日死去。80歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。旧姓は樫野。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by