ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊一清」の意味・わかりやすい解説
楊一清
よういっせい
Yang Yi-qing; Yang Ich`ing
[没]嘉靖9(1530)
中国,明中期の政治家。安寧 (雲南省) の人。字は応寧。号は邃庵。諡は文襄。成化8 (1472) 年の進士。山西,陝西の地方官を歴任して南京太常卿となり,弘治 15 (1502) 年副都御史として陝西の馬政を司り,次いで陝西巡撫を兼ねて辺防に功績をあげたが,宦官の劉瑾に憎まれて辞職。正徳5 (10) 年安化王朱し鐇の乱に起用されて軍務にあたり,劉瑾を倒してから戸部尚書,吏部尚書となった。嘉靖3 (24) 年また起用されて陝西三辺総督となったが,翌年吏部尚書,華蓋殿大学士に進み,次いで首輔となった。しかし同8年張そうらの讒言で辞任し,まもなく病没。著作に『関中奏議』 (10巻) ,『石淙稿』がある。
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