日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊惠之」の意味・わかりやすい解説
楊惠之
ようけいし
生没年不詳。中国、唐玄宗(在位712~756)朝の画家、彫塑家。呉(ご)(江蘇(こうそ)省)の人で、梁(りょう)の張僧繇(ちょうそうよう)の画風を学び、長安の千福寺東塔院の壁面に涅槃(ねはん)図や鬼神図を描いたが、のち画友、呉道玄(ごどうげん)(道子)が名声を得るに及んで、塑像の制作に転向した。当時、仏寺や道観では、壁面に山岳の形を塑造し、その間に草や木や人物や建物などを点在させる塑壁(「塑山水壁」とよばれる壁画と浮彫りを併用した山水表現)が流行したが、惠之は長安の太華観(たいかかん)、洛陽(らくよう)の広愛寺をはじめ各地の寺観で塑壁や施彩(せさい)塑像をつくり、天下第一とうたわれた。「道子の画、惠之の塑、奪い得たり僧繇の神筆路」と称されている。写実の極致といった作風だったらしい。
[吉村 怜]