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張僧繇 ちょうそうようZhang Seng-yao

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張僧繇
ちょうそうよう
Zhang Seng-yao

中国,南朝,梁の画家。呉県 (江蘇省蘇州) の人。顧 愷之 (こがいし) ,陸探微と並ぶ大家で,諸大寺の壁画に腕をふるった。画法は西域から伝来立体画法で,一乗寺に描いた凹凸花は遠くから見ると目がくらむほどの立体感があったという。大阪市立美術館蔵『五星二十八宿図巻』は彼の絵の模本と伝えられるが確証はない。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうそうよう【張僧繇 Zhāng Sēng yáo】

中国,南朝梁の画家。生没年不明。江蘇蘇州の出身。天監年間(502‐519)武陵王国侍郎となり,秘閣に直して画事を学んだ。官は呉興大守に至った。道釈人物画を得意とし,京師寺観の壁画にその妙をうたわれた。金陵(南京)安楽寺の2竜の瞳をいれたところ,雷電とともに飛び去り,点睛しないほかの2竜は動かなかった話や一乗寺に凸凹画を描き,繧繝(うんげん)に似た遠近法などエピソードが多い。彼が始めたという没骨(もつこつ)青緑法は16,17世紀に復元,流行した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうそうよう【張僧繇】

中国、南北朝時代梁の画家。武帝に仕え多くの寺廟の壁画を描いた。色のぼかしにより立体感を出す手法を用いた。生没年未詳。 → 画竜点睛がりようてんせい

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張僧
ちょうそうよう

生没年不詳。中国、南朝(りくちょう)の梁(りょう)(502~557)の宮廷画家。南朝の三大画家として顧(こがいし)、陸探微(りくたんび)と並び称される。呉(江蘇(こうそ)省蘇州(そしゅう))の人。梁の武帝(蕭衍(しょうえん))は仏教を奨励し、仏寺を建て、多くの塔廟(とうびょう)の壁を仏画のほか、肖像、人物、故事、竜、禽獣(きんじゅう)、鳥などの壁画で装飾したが、その壁画を描いたのが張僧である。とくに彼の竜は真に迫り、目を点じたら飛び去ったという伝説を残している。武帝の信任厚く、官は天監年中(502~519)に武陵王国侍郎、のち右将軍、呉興太守などにも任ぜられた。首都建康(南京(ナンキン))の一乗寺の壁画制作にあたり、装飾の花文の彩色に「朱および青緑もて成す所、遠くより望めば眼暈(めくま)して凹凸のごとく、就(つ)いて見ればすなはち平」(『建康実録』)とあり、西方伝来の陰影法を用いたことをうかがわせている。また、山水画に没骨(もっこつ)的な皴法(しゅんぽう)を取り入れたといわれ、唐代絵画の形成に影響を与えたと思われる。[星山晋也]

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世界大百科事典内の張僧繇の言及

【帝王図】より

…それらは勧戒の意はもちろん,各朝においては尊崇の意をこめたものでもあり,軸物は寺観などに別に場所を設けて掲げ礼拝の対象とされた。ただ,聖賢図・名臣図などをも含めた勧戒画が中国人物画の主題として重要であったのは,《晋帝相列像》をかいた顧愷之(こがいし),《梁武帝像》をかいた張僧繇(ちようそうよう),あるいは《秦府十八学士図》の制作に当たった閻立本らに代表される漢から六朝・隋・唐時代までであり,宋代以後は人物画に取ってかわる山水画の隆盛とともに勧戒画はしだいに振るわなくなっていった。現存する〈帝王図〉の多くも無名画家の制作になるものである。…

【道釈画】より

…勧善懲悪的な実用性もあり,宋代以降の鑑賞的な山水画に主導権をゆずるまで,絵画の中心的存在であり,多くの著名作家がここに集中している。六朝に顧愷之(こがいし),陸探微,張僧繇(ちようそうよう)らが道釈画家として輩出したのは,老荘思想や仏教の流行と呼応するが,彼らは同時に人物画の名手でもあった。唐代には呉道玄が出現し,唐都長安,洛陽のおもな寺観でほとんど独占的な制作を行った。…

※「張僧繇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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