楠川城跡(読み)くすがわじようあと

日本歴史地名大系 「楠川城跡」の解説

楠川城跡
くすがわじようあと

[現在地名]上屋久町楠川

楠川集落の南東城之じようの川河口右岸にある。標高四八メートルを最高地点とし、城之川河口と太平洋を北東直下に見下ろす南東から北西に延びた台地の先端を主とする山城。大永四年(一五二四)二月から九月にかけ種子島忠時により築城された(種子島家譜)。当時種子島氏禰寝氏と抗争しており、禰寝氏の屋久島襲撃に備え、本拠のある種子島と連絡の取りやすい当地に築城したものと考えられ、天文一二年(一五四三)種子島恵時が禰寝氏を避けて屋久島に避難した際に使用されたと思われる(同家譜)。同年禰寝氏に屋久島を奪われた種子島氏は、翌一三年屋久島奪還のために肥後時典を派遣する。時典の指揮する種子島勢は島間しまま(現南種子町)から「楠河」に上陸しているが(同家譜)、当城はこのときにも使用されたであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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