楠目村(読み)くずめむら

日本歴史地名大系 「楠目村」の解説

楠目村
くずめむら

[現在地名]土佐山田町楠目・百石ひやつこく町二丁目

伏原ふしわら村の北から東にかけて位置し、東を物部ものべ川が南流、南は物部川山田やまだ堰から導水した用水路上井うわゆ川が南西に流れる。北は半坂はんざか(一五五・七メートル)をはじめとする小山がほぼ東西に連なる。「土佐州郡志」は「東西十六町南北十五町」と記すが、これは隣接する枝村伏原村をも含んだものである。集落は北部山間の予岳よがく前行ぜんぎよう油石あぶらいし、南部平地の談議所だんぎしよ平田ひらた中村なかむらに散在する。

楠目の地には、鎌倉時代初めに宗我部そがべ深淵ふかぶち両郷(現野市町など)地頭として下った中原秋家が、のちに城を築いて隠居したといわれ、この秋家が楠目城主山田氏の祖とされるが確証はない。しかし戦国時代に土佐七雄の一人とされた山田氏の城下には町場が発展したことは確かで、天正一六年(一五八八)の山田郷地検帳は山田氏の居館の南に「市村イケヤシキ」で始まる市町の記載がある。これは山田市とよばれた市町で、地検帳によると東西に延びる道を挟んで、南側と北側に市屋敷が軒を並べていたらしく、北側はきた町と称し、東端には二〇代と一四代一歩の二屋敷をはじめ、本分は一率に五代(出分はまちまち)の屋敷が一七筆並ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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