楯岩城跡(読み)たていわじようあと

日本歴史地名大系 「楯岩城跡」の解説

楯岩城跡
たていわじようあと

[現在地名]太子町上太田

上太田かみおおだ集落南東、標高二五〇・一メートルのしろ山山頂に位置し、山麓からの比高は約二三〇メートル。太田庄内に築かれた山城。太田(大田)城ともよぶ。三浦義明が築城し、その後は弘岡(広岡)氏が城主となったとされる(赤松家播備作城記)。永正一八年(一五二一)浦上村宗と対立した赤松義村は御着ごちやく(現姫路市)まで出陣した。このとき義村方の赤松下野守村秀と広岡氏が二月二日に先陣として「大田ノ城」に入っている。ところが広岡氏が村宗方に転じたため、二月一一日には義村方は城から撤退し村秀のみが残った(「鵤庄引付」斑鳩寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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