楽々浦村(読み)ささうらむら

日本歴史地名大系 「楽々浦村」の解説

楽々浦村
ささうらむら

[現在地名]城崎町楽々浦

飯谷はんだに村の北、円山まるやま川の河口近くの右岸に位置する。円山川の砂洲が北に長く延びて、同川東側に内海状の楽々浦が形成され、淡水魚の漁場となっている。享和二年(一八〇二)の菱屋平七長崎紀行(京都大学文学部蔵)湯島ゆしまの宿を出立、「川舟に乗て十二三丁南に行バ楽々の浦、此あたり川ゞ広くして湖の如し」とある。戦国期には気比けひ庄と称される地域に含まれ、天正九年(一五八一)二月二六日付の気比庄浦々網漁諸役書上(瀬戸区有文書)に、「一、楽々浦事、於河内者、うなハ(鵜縄)外海にてハ敷あみ(網)仕候て、浦々諸役同然候」と記される。農業のほか漁業を行い浦役を負担する漁村で、河内(円山川であろう)鵜縄とともに外海でも敷網(大敷網か)による漁業を行っていることが注目される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む