榎木渡(読み)えのきのわたし

日本歴史地名大系 「榎木渡」の解説

榎木渡
えのきのわたし

西成にしなり十八条じゆうはちじよう村から豊島てしま榎坂えさか(現吹田市)へ渡す神崎川の渡し。近世には大坂より池田いけだ(現池田市)へ向かう主要道の一つ横関よこぜき街道の渡しとして賑った。「異本年代記」に天正二年(一五七四)七月一九日、荒木村重が兵三千を率いて榎木渡から中島なかじまに入り、大坂より兵を出して崇禅そうぜん(現東淀川区)僧侶まで殺した石山いしやま本願寺(跡地は現東区)の一揆衆と合戦、荒木軍およびともに戦った高山友祥軍七〇〇―八〇〇人が討死したとある。「多聞院日記」同年七月二四日条に「去廿日於中島アラキ信濃衆過半討死了」とあり、これを裏付ける。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報